出羽三山神社の沿革
 出羽三山とは、羽黒山・月山・湯殿山の総称で、崇峻天皇の御子である蜂子皇子の開山である。
皇子は、蘇我氏の難を避け、海路を経て出羽の国に入られた。
そして三本足の霊烏の導くままに羽黒山に入り難行苦行の末、羽黒権現の御示現を拝し、羽黒山頂に羽黒山寂光寺を建立して権現に奉仕したという。
次いで皇子は、月山、湯殿山を開き、両神を羽黒山に勧進して羽黒三所大権現と称した。

 その後、皇子の御徳を慕い、加賀白山を開いた泰澄大師や修験道の祖と云われる役の行者、また真言宗の開祖弘法大師、天台宗の開祖伝教大師とその弟子慈覚大師なども来山して修行したとも伝えられている。こうして皇子修行の道は次第に発展して羽黒派古修験道となり全国に名を知られ、時代を重ねるにつれ人々の厚い信仰を集めることとなった。

 三山は神仏習合時代は真言宗を中心に八宗兼学の山として奉仕、江戸時代に入って天台宗に改め奉仕してきたが、明治維新に際して神仏分離し、古への神奈備山にかえった。
延喜式によれば、月山神社は名神大社、出羽神社は小社に列せられた古社であったが、明治維新の神仏分離を経て、月山神社は官幣大社に、出羽・湯殿山の両神社は国幣小社に列せられた。

 さまざまな制度上の変革を経ても、人々の三山に寄せる信仰そのものは昔のままに持続され今日に及んでいる。