羽黒山は、西の祓川と東の立谷沢川にはさまれた海抜414Mのゆるやかな丘陵である。
出羽三山のうち月山・湯殿山の両神社は人煙から遠く離れ、冬は深い豪雪のために参拝が困難であった。
そのため、羽黒山頂の出羽神社を月山・湯殿山の里宮として豪壮な合祭殿を建立し三山の祭神を合祀し本社としている。
古来、大堂・本社とも称せられ羽黒修験道の拠点として栄え、今も四季を通じて参拝者は後を断つことがない。

随神門
祓川にかかる神橋
須賀の滝
南谷(山形県指定史跡)
斎館へと続く石道
 随神門をくぐれば、そこから先は出羽三山神社の神域である。神域は月山を越え、遠く湯殿山にまで及んでいる。門は当初、仁王門として寄進されたが明治の神仏分離の際に名称を改めたものである。
 随神門より継子坂を下ると祓川にかかる神橋がある。昔、三山に詣でる人々は祓川の清流に身を沈め水垢離をとり登拝の途に就いたものである。朱塗りの美しい神橋は向かいの懸崖から落ちる須賀の滝と対応し、清々しくも美しい景観を呈している。
 山頂に至る約2kmの表参道の両側には、樹齢300〜600年に及ぶ見事な老杉が鬱そうと生い茂り、昼なお暗い神秘的な佇まいを見せている。長い石段は全部で2,446段に及び、途中には『一の坂』『二の坂』『三の坂』の急坂がある。
 一の坂の登り口左手には、杉木立に囲まれて、五重塔が聳え立っている。素木造、柿葺、三間五層の優美な姿で、東北では最古のすぐれた塔である。(昭和41年国宝に指定)創建は平将門、再建は長慶天皇の御代、庄内の領主で羽黒の別当であった武藤政氏によると伝えられている。
 二の坂を登りきると、しばらく平坦な敷石道が続く。三の坂の登り口から右折し、崖に沿って老松や老杉の下道を行くと『南谷』に出る。かつて松尾芭蕉が【奥の細道行脚】の折りに門人曽良と逗留した別院跡がある。今は一部の礎石を残すのみであるが、院をめぐって池を配した庭園は閑寂幽邃名園の面影を残している。
 三つの坂を登りきったところに『斎館』がある。山内に今も残る唯一の院坊であり、現在も三山参拝客の宿泊施設として賑わいを見せ、精進料理に往時の修行の有様を偲ぶことができる。
 山頂の赤い鳥居の前方左手に三神合祭殿がある。萱葺神社建造物として日本では最大の大きさを誇り、三片に朱塗りの高欄を巡らした豪壮な建物である。内陣は三戸前の扉に分かれ、月山、羽黒山、湯殿山の三神を合祭している。度重なる火災にあったが、現在の社殿は文政元年の再建である。
 合祭殿前の池は御手洗池であり、四季を通して水位が変わることなく神秘なる御池として古くから信仰を集めていた。人々より奉納された銅鏡が埋納されていることから『鏡池』と言われている。
 池の東側に建つ切妻造り萱葺の建物が鐘楼である。山内では国宝五重塔につぐ古い建物である。鐘は建治元年の銘があり古鐘では、東大寺・金剛峰寺に次いで古く且つ大きく、国の重要文化財に指定されている。
 出羽三山は古来、祖霊安鎮の御山としても篤い信仰を集め、御先祖の御霊を供養する風習が現在も根強く残っている。霊祭殿は、単層入母屋千鳥破風五間社造りで、昭和58年に再建されたものである。
 山内には、遙かな歴史文化財がひっそりと息づき、往時の隆盛を偲ばせている。
山頂の鳥居
鐘楼と建治の大鐘