本文へ移動
羽黒山五重塔
特別拝観
羽黒山に残る建造物として最も古い国宝羽黒山五重塔は、明治以降公に開扉した記録はありません。
平成30年は天皇陛下御在位30年の佳節の年にあたります。
また出羽三山神社においても三神合祭殿再建200年、羽黒山が神社となってより150年の節目の年にあたります。
これらを記念し、これまで秘中の秘とされてきた国宝羽黒山五重塔内部を特別に一般の方々に公開致します。
平成30428日[土]→114日[日]
|公開期間|午前8時30分→午後4時30分
|拝観料|大人500円//共通券700円
羽黒山五重塔概要
羽黒山五重塔は西暦931年から939年の承平年中、平将門創建と伝えられ、昭和四十一年国宝に指定されている。
高さ29.4メートル、杉材による三間五層の素木作り、屋根は杉板厚さ2.4ミリの木羽を重ね合わせた杮葺きである。
その後幾度も修復され、中世には庄内地方を治めていた武藤政氏が1372年から1374年の文中年間に再興したと伝え、
現在の塔は建築様式からこの時のものと云われている。
お釈迦様のお墓に見立てた五重塔は、いにしえこの周辺を龍水寺が治めていたことから、明治までは瀧水寺の塔と呼ばれ、
初重の須弥壇には、羽黒山の本尊として信仰された正観世音菩薩を中心に、軍荼利明王と妙見菩薩の三尊を祀っていた。
しかし、明治の神仏分離で羽黒山が神社になると、五重塔は明治維新で国家のために殉難された人々の霊を祀る招魂社と
なり、昭和二十一年の終戦後は、魂のよりどころを意味する千憑社となった。ご祭神は神社となってより、この世とあの世を司る神、国造りの神、農業や商業にご利益の神である大国主命を祀っている。
 
【心柱
各層の部材に干渉することなく最上層の屋根の上の相輪を支える心柱は現在二層目からですが、本来は基壇上の礎石の上から立てられていました。現在の構造は、江戸初期この地を領有した最上義光が、一六〇八年の慶長十三年に大修復したとき、心柱の底の分部が腐っていたので切り取ったと伝えられています。柱は八角形で釘を使われず、葡萄の蔓を巻いて支えています。
 
【特別拝観内容】
初重(一階)
○平安時代の三跡 小野道風筆と伝える額
○内部構造の映像
○五重塔覆鉢台座拓本 他
 
二重(二階)
○心柱を中心とする内部構造
 
 
小野道風筆と伝える報身(正面・西)、応身(右・西)の額
覚諄別当が山麓修験者に託した
羽黒三所大権現の
秘仏本邦初公開
|場所|羽黒山頂儀式殿
 
仏像に託された覚諄と又兵衛の想い
時代を超えて脈々と息づく信仰の絆
文化8年(1811)閑2月11日、ご本社からの出火で周辺の行者堂、閑山堂、弁財天堂、稲荷堂まで焼き尽くしてしまった。火災より2日後、山麓手向村の衆徒天羽又兵衛は御神秘の早期再建にと田地を売って作った300両を献納したことから、覚諄が別当として入山した同10年に再建を果たすことができた。覚諄別当は造営の功労者として、天羽又兵衛を別当所出仕賄役次席に取り立てた。
 さて、天羽又兵衛には羽黒三所大権現である大日如来・阿弥陀如来・観音菩薩の3躰をはじめ、不動明王・弁才天の2躰の仏像が安置されている。当家には、覚諄別当がご本社再建を果たした折、再び本社やその周辺が火災に遭ったとき、これを御本尊として祀るように託されたと伝えられている。
 平成30年、羽黒山三神合祭殿再建200年を記念して、この仏像5躰を羽黒山頂儀式殿にて公開することになりました。
寂光祝膳
蜂子皇子が道すがら
食したであろう在来野菜を
盛り込んだ御膳
|期間|平成30428日[土]→1125日[月]
|料金|3,240円(8品にお土産付き)※3日前まで要予約
 羽黒山の開祖蜂子皇子は鶴岡市由良の八乙女浦に上陸し、在地の民に食べ物を恵んでいただき、
三本足の八咫烏に導かれ、羽黒山に辿り着いた。修行の後、天皇に本尊を祀る社の建立を願い出て許され、
鳥に因んで羽黒山寂光寺と宣下された。皇子は大変歓ばれ、
羽黒山のお社が永遠であることを願い歌に詠まれた。
 
 
宮護禮 我跡羽久呂之 陽満迦羅壽
頭母羽根毛 城来成萬天
 
(みやごもれ おのがはぐろの やまがらす
かしらもはねも しろくなるまで)
 
 
 羽黒山三神合祭殿再建200年を記念し、開祖の道中を支えた
在来野菜を取り入れた祝膳をご用意致しました。
お問い合わせ・予約
羽黒山斎館 tel.0235-62-2357
特製クリアファイル
お問い合わせ
CONTACT US
 
 
 
 

tel.0235-62-2356
fax.0235-62-2352
〒997-0292 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7