羽黒山

羽黒山・出羽神社 ~歴史に薫る修験の山~

五重塔(国宝)
羽黒山は、会津や平泉と共に東北仏教文化の中心であっただけに、数々の文化財に富んでいる。山麓の黄金堂は重文に、山内の五重塔は国宝である。古くは瀧水寺の五重塔と言われ、附近には多くの寺院があったが、今はなく五重塔だけが一の坂の登り口左手に素木造り、柿葺、三間五層の優美な姿で聳り立つ杉小立の間に建っている。現在の塔は長慶天皇の文中年間(約600年前)庄内の領主で、羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と伝えられている。
祓川と須賀の滝
(はらいがわ・すがのたき)
随神門より継子坂を下りると祓川に掛かる神橋に出る。昔三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、水垢離をとり三山への登拝の途についた。朱塗りの美しい神橋は見事な浸蝕谷にかかり、向かいの懸崖から落ちる須賀の滝と相対し、その景観はまことに清々しく美しい。
滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けた。又、一般的には神域とは随神門と伝えられているが、ここより山上と山麓を呼び分け、山上には維新まで本坊を始め30余ヶ院の寺院があり、肉食妻帯をしない「清僧修験」が住み、山麓には336坊の「妻帯修験」が住んでいた。
末社羽黒山天地金神社
随神門の右手前にある朱塗りのお社で、応永4年学頭法性院尊量により創建されたが兵乱のため大破し、後に羽黒山智憲院宥然により安永8年(1779)再興された。もと「元三大師像」を御本尊としてお祀りしたので大師堂と称していたが、昭和39年、須佐之男命をお祀りし、天地金神社となり現在に至っている。
宿坊と魔除けの引綱
門前町手向(とうげ)は、一村総修験で、江戸時代には336坊が軒を連ねた。今に冠木門(かぶきもん)を構え、注連を張った宿坊があり、霞場や檀那場を支配して、道者の宿泊や山案内をする。又、軒に太い綱をつるしているのを見かけるが、これは松例祭(冬の峰)に、つつが虫(悪魔)を引張って焼き捨てる神事に使った引き綱で、綱をかけると悪魔が近寄らないと伝えられている。
随神門(ずいしんもん)
随神門より内は出羽三山の神域となり、神域は遠く月山を越え、湯殿山まで広がる。随神門はこの広い神域の表玄関である。この門は初め仁王門として元禄年間秋田矢島藩主より寄進されたが、明治の神仏分離の折り、随身像を祀り随神門と名付けた。
羽黒山大鳥居
南北朝の末期から羽黒山に勢力を得た大泉庄の地頭武藤氏は、政氏の代に羽黒山の別当を称し、子孫にその職を継いだ。政氏は長慶天皇文中元年羽黒山に五重塔(国宝)を再建、その居城大宝寺(鶴岡)に鳥居を建立させ羽黒山一の鳥居としたが、今はなく只鳥居町の名を残している。今の一の鳥居は鶴岡から羽黒橋を渡り、坦々たる庄内平野を横切って、羽黒街道が羽黒丘陵にかかる景勝の地に高さ22.5mの両部の大鳥居がある。昭和4年山形市吉岡鉄太郎の奉納。
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